ヘッダーイメージ 更新情報:HP
        東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人
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最近の更新:

2014/09/12
HPガブリエルの写真の下のコラムに (5)
背理法で出題ミス?
を増
(別館の記事を引用)

2014/08/05
間違いだらけの数学小辞典
でぐぐってみて下さい
(別館いつのまにか)

2014/01/19
02.2頁:素数の無限性
直接証明3は痛快?

2013/12/08
03頁:
「一切」を「殆ど」へ
+α修正

2013/11/25
05頁:
Fermat-Wilesの定理
に関して加筆

2013/11/19
久々の更新です。煽ってくださる方々に感謝します。
02頁:空論の明示、
[部屋割り論法は自明]を追加した。
04頁:ヒルベルト流体系の命題論理部分を紹介

2013/08/07:
01頁:高木先生の本
02.1頁:訂正と説明増
06頁:説明増と
  真理表追加

2013/07/14:
02.1頁:新設
 02頁の7/11以降追加分を分離し、
頁末に常用対数
log3の無理数性
の2行直接証明

2013/07/13:
02頁:最小分母による証明等追加、
モニック多項式と
sinπrに関する証明
の訂正

2013/07/11:
02頁:無理数性の
非背理法証明追加。
特に、√c についての整数論や分数表示を使わない証明。

2013/07/10:
10頁:入試後学外からの多くの要請により設置したが、内容増加と当初の役割は果たしたため廃止しました。
 そこで述べられていた数学的事実は、本学入試とは別個に解説していきます。

01頁:増
説明を加えました。

2013/06/24
01頁:増
文頭の証明と非背理法証明に少し説明を加えた。

2013/06/18
01頁:増
背理法依存者の罪等

2013/05/21
01頁:改
 ヒルベルト流の公理 体系参考文献

2013/04/03
10頁: pdf 予告。
 京大入試問題の
 一般化等

2013/03/25
01頁:穏便な表現に
02頁:増頁のため
  一部移動中
06頁:同上
09頁:正誤表の更新情報(125項目に)

2013/03/23
02頁:改(増)
意味論的相違強調

2013/03/14
03頁:改(増)
ラッセルのパラドクッス 追加
集合論・入門 につき
(g) 追加

2013/03/14
01頁:増
証明の簡潔さ
03頁:改(増)
集合論・入門 につき

2013/03/11
03頁:改(増)
集合論・入門 につき

2013/03/10
03頁:増
参考文献追加他:
上江洲先生の
集合論・入門
10頁:増
阪大 少し詳しく
π無理数性の
非背理法証明
おまけ:
twitter で自滅

2013/03/08
01頁:増
基本定理の系
に「系」の意味
を説明追加
竹内先生の解説を
10頁から再録

2013/03/07
10頁:増
理科大 説明補足
京大・阪大 新規
06頁:増
公益通報

2013/03/05
06頁:増
参考文献追加、
0^0=1

2013/03/01
01頁:改
09頁:画像2枚
10頁:改

2013/03/01
01頁:改
09頁:増
10頁:増

2013/02/27
01頁:改
09頁:増
誤表を入れた
10頁:増
2002年解答例

2013/02/25
01頁:改
参考文献追加、他
10頁:改
他学科入試問題

2013/02/20
01頁:改
更新情報,
竹内外史先生の本
10頁:改
数式表現

2013/02/19
09頁:増
理数研関係


頁数を漸次増加し、
数式表示のためpdfファイルもUpする予定です。また、些少の改訂も頻繁にしたいと思います。
 
脱背理法教育

数学基礎論
微分幾何学
情報幾何学
位相幾何学
数理物理学

J.N.Abe (in my younger days)
  2013年07月10日 一部改
脱背理法教育、脱背理法依存教育
 背理法無用:「√2 が無理数」の直接証明:
 「自然数 a,b につき、
 aa と 2bb の素因数の個数は偶数と奇数
 で異なるから aa≠2bb、よって √2≠a/b。」
(不要かもしれませんが少し説明を加えます。
 a と b を素数の積で表したとき、その素数(素因数)の個数をそれぞれ s と t とすれば、aa と 2bb の素因数の個数は s+s=2s と 1+t+t=2t+1 です。)

 また、素因数分解の存在と一意性も勿論背理法を用いず証明できます(例えば、「初等整数論講義」高木貞治著。中学生でも頑張れば読めるよう工夫されている名著。)。素因数分解は中学で教えられているようです。つまり、中学生でも理解できるし、適切な誘導をすれば自力で証明を思いつけるような上記の三行の証明を、高校数学A(または I )教科書では準備も込めて、一頁近くの背理法で証明しています。また、自力でこの背理法証明を思いつくのは困難であると想像します。HP02 には、上記の3行証明のアイデアを生かした簡潔な背理法証明(共に教科書の半分以下)も載せておきます。また、一般な累乗根・三角関数・常用対数の無理数性の背理法(否定導入も含む)を用いない簡単な証明に関しては HP02.1 に掲載します。

 背理法で導かれた(構文論)結果は正しいことを論理的に保障されていますが、証明自体には数学的(意味論)に次のような(教育上?)の問題点があります。

 背理法の仮定は結果的に正しくないので、これから(背理法の)証明中には、暫定的に『正しくない』主張が『導かれ』ます。正しくない主張は誰も(天才でさえも)その意味内容を理解納得できません。特に、矛盾は論理的に正しくないので誰も理解納得できません。
 つまり、背理法の証明は難解というより、その数学的内容を完全理解することは不可能です。
[証明中のすべての中間結果の数学的内容が正しい背理法はありません。 実際に確認してみてください。高校数学A(または I )の例はHP02頁に書きます。]

(1) 「証明は良く読めば、数学的に完全にわかる」
というのは背理法以外の証明では正しいのですが、背理法は例外です。
(2) 「背理法の証明中の主張の数学的意味は
理解納得できない」(正しい問題意識)
と思える人は数学的理解力がある証拠です。
全ての学問でも同様と思いますが、学習上
 「自分が理解納得できているものと
 そうでないものが区別できること」
は重要事項です。逆に、論理の流れだけしか証明をみておらず、証明中の中間結果の数学的意味を吟味しない人は (2) に気付きもしません。
  (2) に気付いた人が、 (1) を信じると、数学に対する自信喪失に繋がり、数学が嫌いになる人も多いのではないかと想像します。
 背理法を教えるときに、(2) が当たり前だと注意説明すればよいのですが、そのような教科書を見たことがありませんし、数学教師がそのような注意をしているのを聞いたこともありません。
 数学教育であれば、
(3) 「数学における全ての主張の数学的意味を
 理解することが望まれる」
のに、背理法の証明に慣れるためには、
(2) を自動的に封じる(つまり、証明中の中間結果の数学的意味を考えない)習慣が付いてしまいます。そのうち背理法を使わない証明でも (1) が成り立つと思い込んでしまいます。こうなると、
「例え背理法証明でも、証明さえできれば、
自分はその数学的内容を全て理解している。」
という自己満足に陥ります。このような人が数学教員になると、 (2) という背理法中の主張に対する問題意識を持つ学生がいることさえ思いつきもしなくなります。特に、他の理系学科より証明を重視する数学科では、多くの背理法証明に慣れざるを得ないので、数学科出身の教員には陥りがちな錯覚です。学生諸氏と教員自身にとっても、大変な損をしています。(他の方のことは定かではありませんが、私は十数年前までそう思い込んでいました。現在リハビリ中で、自分が中学の頃から大学院まで学んだすべての背理法証明を非背理法証明に直しつつあります。)

 勿論これは背理法の証明の中の話で、
「背理法を用いて証明できることは、背理法を用いず証明できる」ことが数理論理学(古典論理)で証明されていますので、背理法によって「示された定理自体」は正しいのです。
 つまり、背理法の証明中では数学的内容の理解はできないが、背理法の結果は正しいことが導かれる。端的には、
(1) 論理的に結果は正しいが、数学的になぜか理解できない。証明が結果の数学的理解を深化しない。(短所)
という面と、
(2) 数学的に理解できないが、論理的に正しい結果が得られる。つまり、自分の数学的理解を超えた結果を出せる。(長所)
という両面があります。
 この長所が生かせる場面は、数学の(先端)研究で、
(3) 未解決の問題(数学的に完全理解されていない)を扱う。
(4) 正しい結果が出るし、他の研究者に手の内を晒す必要が無い。
ことが考えられます。一方、学習レベルで証明付きで教えられる数学は既知の結果ですから、わざわざ背理法を使う利点はありません。

 私が今まで、非背理法に直したものは全て背理法より簡潔になっています。
 なお、背理法を用いないで証明可能なことだけならば、
「ブルバキ数学原論集合論1」, page 26, C15
または、前原昭二著(朝倉書店)
「数学基礎論入門」, page 22, 定理2.10 と系
これにより、背理法で証明されたものは定理(背理法以外の推論規則のみで証明可能)と保障されます。
 実はこれらを見るまでも無く、
 NKのように
 「背理法(または否定導入)を本質的に基本推論規則として採用する」古典論理学の公理体系
と同等(同じものが証明できる)な
 「背理法を基本推論規則として採用していない」古典論理学の公理体系(例えばヒルベルト流の公理体系)が存在することを考えれば自明な事実です。
 ヒルベルト流の公理体系において、
推論規則は
 モーダス・ポネンス:
 「前提 A⇒B と A から、結論 B が導かれる。」
 一般化:
 「前提 A から、結論 ∀xA が導かれる。」
の2つのみです。公理または定理を前提とした推論規則を有限回(0回も含む)施して(証明)得られた結論が定理です。証明の途中に得られている結論も定理ですから、公理体系が無矛盾ならどこにも矛盾が出ない証明が可能です。
 ヒルベルト流の公理体系は、古く完成された体系なので常識と思いますが、例えば現刊の書籍で
「述語論理・入門」、上江州忠弘著(遊星社)
「数学基礎論入門」、前原昭二著(朝倉書店)
「数理論理学の基礎・基本」、坪井明人著(牧野書店)
「ゲーデルと20世紀の論理学2」、田中一之編(東京大学出版会)
「数学基礎論」、新井敏康(岩波書店)
特に、「述語論理・入門」ではNKとHKの同等性等も示されています。
(×)「背理法(または否定導入)でなければ証明で きない定理がある」
と主張している人は数理論理学に関しては素人であるという良い判断材料になります。

 「自分が背理法でなければ証明できないだけなのに、他人もできない」
と断定するのは非科学的で傲慢です。
 また、大学の数学教員が
 (×) のような誤ったことを、著書中に公言する
ことは、
 若い人達に非背理法証明を考える努力を放棄させるということになり、悪影響が大きいと思います。その結果として、
 上記のような中学生にも思いつく
 3行の直接証明(ギリシャ時代から現在までに誰かが絶対思いついてると思われる)
が普及しなかったのではないでしょうか?

 なお、私は大方の数学者と同じく「古典論理」を使いますので、二重否定の除去を認めるので、
否定除去型と否定導入型の背理法は区別していません。
 「その否定命題を仮定して矛盾を導き、命題を証明する」証明法を背理法とよんでいます。また、仮定つきの証明でも、途中に矛盾がでていなければ、非背理法証明と呼んでいます。
 ヒルベルト流の公理体系では、仮定に公理・定理のみを使う証明が可能で理想的なのですが、そこまでは要求していません。

 非背理法では、証明中の全内容が理解可能(勿論、仮定つきの場合その下で)なので、一般化も得られることが度々あります。
 背理法の場合条件が多いほうが矛盾が出しやすいので、より一般な場合を想定していないことが多いようです。
 例えば、上の証明では 2 を 素数に替えても成立します。更に、一般な
「n乗数ではない自然数の正n乗根は無理数」
であることが、背理法を用いずに3-4行程度で証明できます。(HP02.1頁を参照して下さい。
更に、脱背理法の発想の有効性を示す結果が述べられています。)
これより、 2 は 2乗数(平方数)ではないので、
「√2 は無理数」の非背理法証明の別証ができたことになります。

 東京理科大学第一部数学科の私の講義(現在は「論理と集合」「位相」、来年度は加えて「位相幾何学」「幾何学特論」)では、背理法無用の数学教育を十数年実践中ですが、他の先生方にはなかなか同調してもらえません。
 現在、学部の純粋数学の全分野の背理法を非背理法に直しつつあります。自分にとっても大変良い復習になり、理解の深化を実感しています。学生諸氏に完全理解してもらおうと努力してきて、返って自分が一番恩恵を受けています。
 但し、大学院生・PDには、研究論文のみに背理法を奨励していますが、背理法には練習の必要は全くありません。(証明していることの数学的意味内容を吟味せず、機械的に推論(直接証明で使うのと同じ)を積み重ねていけばよいだけです。但し、背理法に慣れることには危険が伴います。これに関しては「背理法と研究」の頁を作る予定です。)

 上記の直接証明のように、素因数分解を習った現代の中学生なら思いつくような当たり前のことを、高校数学Aの教科書ではギリシャ時代?の背理法(それも下手な)で教えています。背理法で教えていては数学教育の現代化とはほど遠いし、習う側は次のように大変な損をしています。

 繰り返しになりますが、背理法は正しい結果を導くが、その証明の中の中間結果は一般に正しくない。([背理法との比較]HP02頁を見てください。)
 正しくない主張は誰も(著者や教える側でも)理解納得はできません。仮定の下、すべての中間結果が正しく完全に理解可能な直接証明(対偶の証明も)とは全く異なります。
 更に、正しくない中間結果は他へは使えませんから、単独に記憶に残ると無駄である以上に大変危険です。(当たり前の正しいことなら覚える必要もないのですが、正しくないことは無数にありますから、その背理法の証明中に出ている特定の正しくないことは丸暗記するしかない?)

 教える側も、背理法証明中、一時的であれ
「自分も理解できない誤ったこと」
(世間ではこれを嘘という)
を教えなければならない。私には耐えられない。

 殆どの数学者がこれらのことを認識していないようです。私も、研究レベルに達するまでに(大量の)背理法証明に遭遇していたので、中間結果の数学的意味を (考えても無駄と無意識に悟り)考えない癖がついていました。また、「自分が解っていない」と解ること(無知の知)は大変に難しいことです。
 一部の数学者(一流?大学の教授も含む)は
「√2 が無理数の証明等には、どうしても背理法を用いざるを得ない」と公言しています。この頁の文頭にある直接証明は背理法ではありませんから、誤った主張です。

 中学生にでも思いつく直接証明があるのに、(数学の研究で業績を上げた)大学教授が「直接証明は無い」と思い込んでいる訳ですから、その言を信じた教え子が教員になったとき、自分で直接証明をしてみようということもなく、中学・高校生が直接証明をしても理解しないか無視する可能性があります。こうして、次の世代には「現存する背理法証明」のみが受け継がれていきます。
 大学入試で、解法に背理法を強いる問題が出ていますが、出題者が(特定の)背理法による証明以外に上手い証明を思いつかない証拠です。背理法の証明より簡潔な非背理法証明が存在しますから、結局下手な解法を強いていることになります。なお、非背理法証明は数学的能力を使わず機械的に背理法に直せます)から、「背理法を使えるか試すため」というのは理由になりません。優秀な受験生には、単なる虐めでしかありません。
 最近、毎日2桁3桁に及ぶ方々が見てくださっている(賛否両論あると思いますが)ようなので、更新に気合が入ります。なお、twitter などでは誤解があるようです。私の書き方は「上から目線」のようになっていますが、実際は
「私自身が、背理法のおかげで頭が腐った被害者であると実感しています。十数年前から現在もリハビリ中です。」(背理法被害者の会)

Gabriel
 特に、教育効果を確認するための数学の試験において、背理法による解答を許すことは下記の理由で、数学教育の立場では大変に不適切です。

(1) 非背理法証明(直接証明、対偶を証明)の方が簡潔である。

(2) 背理法で証明できても、論理的な能力(構文論的)を持つことは判断できるが、証明の内容を数学的に理解している(意味論的)かの評価が困難である。
(直接証明でも、証明の意味内容を理解せず証明を完遂することは可能ですが、中間結果はすべて正しい主張なので、分問することができますし、具体例等で確認させたりも可能です。例えば、恒等式の直接証明であれば、途中に出てくる式に具体的数値を代入して部分的な確認ができます。背理法では、背理法の仮定から矛盾までは途中で分けても無意味で、すべての条件を満たす具体例もありません。矛盾が出る状況では正しい具体例(モデル)が存在しない故です。例えば、幾何学の背理法証明では、すべての条件を満たす図はかけません。)

(3) 背理法の矛盾には任意性(例えば、「Abe=Obama」は現実に矛盾)があるので、本質的に異なるとんでもない証明が無数に可能である。
(一方、有名な定理のワンパターンな背理法証明があるが、これこそ単なる丸暗記の猿真似であり、数学教育における負の文化遺産です。但し、背理法で得られた結果自体は人類の宝です。
 思い浮かぶ証明法がワンパターンな背理法しかない出題者は、別証を配慮をしないで楽なものですが、独創的な背理法の別証をしている受験者を見落としてXを付ける可能性があります。特に、入学試験等では、時間も限られていますので採点のときに大変に難儀します。)

(4) 完結していない背理法証明においては、中間結果は正しくないので、すべての別証に公平な部分点をつけることは不可能です。

 本人の要請があれば答案や採点基準等を開示するという方向にある現代では、客観的妥当性に欠ける採点しかできない背理法は、大勢に対する教育においては不公平観を生じさせる恐れがあります。大勢に対する教育では、
「すべて正しいことを公平に」
は最重要事項と思います。

 私は、背理法自体を否定しているのではなく、研究レベルでは強力な手法と認めるのですが、教育レベルの数学には不要である(むしろ有害)と思っています。

 受験生や受験生を教える先生方には、教科書には背理法の(それも下手な)証明があり、背理法を強いる大学入試問題がありますから、背理法は絶対避けられないという危惧があると思います。
 その回避策のため、入試問題からの実例を挙げていこうと思います。背理法と脱背理法の解法を比べてみてください。学習・教育の参考にしていただければ幸いです。
 なお、予備校講師・受験参考書の編著・入試センター委員の経験があるので多少の自信はあります。しかし、今は全く受験数学から離れていますので、下手な証明をするかもしれませんが、そのときは是非指摘してください。

(5) 背理法で出題ミス?
実際の大学入試問題
(大阪大学2003年)で、
円周率の無理数性の証明を背理法で誘導し、その途中に導かれる得られる
[誤った主張] A
につき、
「A を示せ」という設問をしています。この主張の否定
[正しい主張] ¬A
は、円周率が無理数か有理数かということと関係無しに導けます。矛盾が生ずる状況では、任意の命題(真偽を問わず)が導けますから、
「2=1 を示せ」(導ける!)
という設問と本質的に同じです。
これは、出題ミスとまでいいませんが、正しい ¬A を導ける受験生(出題者より優秀?)に混乱を与えます。
出題者が
「背理法の仮定から矛盾を導くまで、中間結果には正しくない主張が続出している」
という認識が無いこと、
または、
「背理法に慣れるために、
推論の流れを重視し、
途中結果(正しくないので
理解不可能)の内容は
深く考えない
(意味論的思考停止)
という訓練した」
結果と思われます。

大阪大学2003年の入試問題については、
脱背理法と大学入試問題
でぐぐって見て下さい。
(脱背理法別館10頁)
円周率の無理数性の直接証明があります。
フッターイメージ