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        東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人
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2013年03月05日 改
空写像の認識 0^0=1 : 系
× 「定義域が空集合の写像(関数)は存在しない(定義できない)」
と思い込んでいる数学者が多いのですが、実は
○ 「定義域が空集合の写像(関数)は唯一存在する」
ことは公理的集合論における定理です。(この元を空写像(関数)とよぶ。)

 このことは、数学基礎論や圏論をある程度学んだことのある数学者は解っているようだが、そうは思っていない数学者も多いようです。特に、
「定義域が空集合である写像は存在しない」
という誤解は国際的にもあるようで、
竹内外史著、「層・圏・トポス」、日本評論社(1978年)
の本文13ページに、
「φ 上の関数は唯一つ存在して φ 自身である」
ことを説明(証明)した後、
「こんなことを細々と説明したのは φ 上の関数は一つもないと誤解している人が往々にしているからである」
とでています。
(現在増補改訂版が復刊されています。あとがきに本文の訂正がありますので、
こちらを先に読むことをお勧めします。)

 構文論的証明(論理式の機械的変形で導く)も勿論できますが、意味論的証明(意味内容を考えて正しいことを直接示す)の方が解り易いと思います。つまり、意味内容を考えれば明らかです。
 ただし、背理法に慣れてその中間結果の意味を考えなくなっている人には意味論的証明は困難であるため上記のような誤解が蔓延しているのではないかと思います。
 なおこのような人達は、数学の主張の正確な内容を理解することを放棄する癖がついていますから、論理記号を用いて正確に表現することができない場合が多く、なるべく日常語で済まそうとします。背理法の証明においても、論理記号で正確に表現すればもう矛盾がでているのに、それに気付かず余計な推論を続けている場合はよく見られます。

 証明の前に定義と注意をしておくます。
 関数と写像という数学用語には習慣的用法に若干の曖昧性があるのですが、ここでは同義のものとします。

定義 集合 X,Y につき、写像 f : X→Y 全体の集合を Fnc(X,Y) で表すと
  f∈Fnc(X,Y) :≡ f⊂X×Y∧(∀x∈X)(∃!y∈Y)[ (x,y)∈f ]
ここで、
  y=f(x) ≡ (x,y)∈f

 これは、写像 f : X→Y をグラフ( X×Y の部分集合)として表現していますが、
数学で使う場合には、圏論における射 (morphism)として、終域を特定できる順序3組 ( f, X, Y ) で表現したほうが適切な場合もあります。このときは、
  Mor(X,Y):={ ( f, X, Y )∈P(X×Y)×{ X }×{ Y } | f∈Fnc(X,Y) }
が、dom(f)=X, cod(f)=Y となる射全体の集合です。

 特に、 数学でよく用いられる制限付限量記号ですが、これは略記号で正式には
  (∀x∈X)[ p(x) ] ≡ ∀x[ x∈X⇒p(x) ]
  (∃x∈X)[ p(x) ] ≡ ∃x[ x∈X∧p(x) ]
です。特に、X=φ (空集合)のときには、この正式な表現を知らない数学者は理解不能に陥っているようです。

論理記号「⇒」「∧」「∨」の標準解釈(真理表) ( T:真 F:偽)
   P Q  P⇒Q P∧Q P∨Q
   T T    T   T    T
   T F    F   F    T
   F T    T   F    T
   F F    T   F    F
を考えれば、

定理[限量記号の制限条件が空の場合]
  (∀x∈φ)[ p(x) ] ≡ T (:恒真命題:tautology)
  (∃x∈φ)[ p(x) ] ≡ F (:恒偽命題)

証明 空集合の定義より
  x∈φ ≡ F
論理記号「⇒」「∧」の標準解釈より、
  (x∈φ)⇒p(x) ≡ F⇒p(x) ≡ T
  (x∈φ)∧p(x) ≡ F∧p(x) ≡ F
であるから、一般に
  (∀x∈φ)[ p(x) ] ≡ ∀x[ (x∈φ)⇒p(x) ] ≡ ∀x[ T ] ≡ T
  (∃x∈φ)[ p(x) ] ≡ ∃x[ (x∈φ)∧p(x) ] ≡ ∃x[ F ] ≡ F
証明終。

定理 Fnc(φ,Y)={φ}, Mor(φ,Y)={ (φ,φ, Y ) } (共に一元集合)
(特に、Y=φでも成立していることに注意)

証明 X=φ (空集合)のとき、X×Y =φより、f=φであり、
  (∀x∈φ)(∃!y∈Y)[ (x,y)∈f ] ≡ T
であるから、
  f∈Fnc(φ,Y) ≡ (f=φ)∧T ≡ f=φ
故に、
  Fnc(φ,Y)={φ}
  Mor(φ,Y)={ ( f,φ, Y )∈P(φ)×{φ}×{ Y } | f∈{φ} }={ (φ,φ, Y ) }
証明終。

定義 上記の Fnc(φ,Y)={φ} で唯一決まる写像 φ:φ→Y を空写像とよぶ。

定義 写像 f : X→Y が単射(一対一)であるとは
  (∀u∈X)(∀v∈X)[ u≠v⇒f(u)≠f(v) ]

定理 空写像は単射である。

証明 定理[限量記号の制限条件が空の場合]より、
  (∀u∈φ)(∀v∈φ)[ u≠v⇒f(u)≠f(v) ] ≡ T
であるから成立している。証明終。


X から Y への全単射全体の集合は
  Bij(X,Y):={ f∈Fnc(X,Y) | (∀y∈Y)(∃!x∈X)[ (x,y)∈f ]}
ですが、特に、Bij(φ,φ)=Fnc(φ,φ)={φ}

一方、X≠φ, Y=φの時には、

定理 X≠φのとき、
  Fnc(X,φ)=Mor(X,φ)=φ

証明 Y=φの時には、
  (∃!y∈φ)[ (x,y)∈f ] ≡F
であるから、
  (∀x∈X)(∃!y∈φ)[ (x,y)∈f ] ≡∀x[ (x∈X)⇒F]
  ≡∀x[ ¬(x∈X)∨F] ≡∀x[ ¬(x∈X) ] ≡ X=φ
ここで、X≠φという仮定であるから、
  (∀x∈X)(∃!y∈φ)[ (x,y)∈f ] ≡ (X=φ) ≡ F
である。Y =φのとき、X×Y =φより、f=φであり、
  f∈Fnc(X,φ) ≡ (f=φ)∧F≡F
故に、
  Fnc(X,φ)=Mor(X,φ)=φ
証明終。

 集合 X の基数を #X で表すことにします。
基数に関しては、和、積、累乗の演算が定義できますが、特に累乗は
「基数 a=#X, b=#Y の累乗は、b^a:=#Fnc(X,Y) 」、
と定義されます(有限集合の場合、基数は元の個数ですから、
自然数の累乗と一致します)。
特に、0=#φの場合を考えれば、 上記定理より、

系 b^0=#Fnc(φ,Y)=#{φ}=1, 特に、0^0=#Fnc(φ,φ)=#{φ}=1、
  a≠0 ならば 0^a=#Fnc(X,φ)=#φ=0

また、
「基数 a=#X の階乗は、a!:=#Bij(X,X) 」、
と定義されます(有限集合の場合、自然数の階乗と一致します)。
特に、0=#φの場合を考えれば、 上記の注意より

系 0!=#Bij(φ,φ)=#{φ}=1

が示されます。

 但し、日本の高等学校では、0=#φ は自然数としていないので、
0^0 は正式には定義していませんが集合論と整合性を持たせるならば、
0^0=1と定義するしかありません。
 実際、高校数学Aの教科書の2項定理の項目では、
「ただし、 a^0=1, b^0=1 とする。」(a=0 や b=0 も除外していない!)
と述べていますが、これは集合論と整合する定義となっています。
勿論、この定義では 「0^0=1」 です。

 このように、(0 の 0 乗) 0^0=1 や (0 の階乗) 0!=1
は集合論では定理であって、証明できます。特に、前者については、
私の一年生の集合論の講義で証明しています。
 勿論これは、私が始めて言い出したことではなく、例えば、
ブルバキ 数学原論 集合論 2 第3章 § 3、p35 では、
 「命題11. a を基数とする.しからば a^0=1, a^1=a, 1^a=1 ;
  a≠0 ならば 0^a=0.」
と述べた後、5行の証明を付けた後、
 「とくに、0^0=1 であることに注意.」(同p36)
と述べている。また、p37以降をみれば、
有限基数(0を含む)を自然数とよんでいる。
(勿論、他の専門書(集合論)でも同じ主張がなされている:
例えば、HP03頁で引用・解説した
上江州忠弘著、集合論・入門、遊星社
には、p.129 において、2行の証明の後、命題 3.15 として述べられている。

 ブルバキを第一に引用したのは、
ブルバキはこの集合論を基にして
代数学や解析学を展開しているので、
「集合論ではそうかもしれないが、私の分野では違う」
という「ローカルな定義を根拠とする反論」に対する布石です。)

 このような、論理的に考えれば自明な事実「0^0=1」にもかかわらず
(*) 「0^0 は定義できないまたは定義により異なる値になる」
という誤った認識をしている数学者が多いので同業者として恥ずかしい。

 一番多い屁理屈は、
「0^0 のタイプの極限値は不定形だから」
という理由を述べて、自滅する解析学の専門家(紛い)が大変に多い。
 x→a のとき、f(x)→b という場合、
f(a) と b は無関係であるのは極限値の常識と思いますが、
先に 0^0 の値は決まっているということを知らないので、
「正の実数の有理数乗を連続関数となるように拡張」(高校数学で)
したのと同様に 0^0 の値も連続になるように決めるつもりなのでしょう。
残念ながら、上記の理由は単に
「0 まで連続に拡張はできない」ことの理由に過ぎないのです。

 他に見られる屁理屈としては
 「0^0 の値が決まれば、・・・・、0 の逆数が存在することになる:矛盾」
という論法が見受けられますが、
「帰納的定義の誤用」(自滅)
にすぎません。

 この後半は別頁に載せるつもりでしたが、
(*)ネットをみると「0^0=1」に関する誤解が蔓延しているようなので、
手短に解説しました。
 ネット上(刊行されている専門書も同様)では数学情報が氾濫していますが、
そのサイトや専門書の信頼性が定かではありません。
上の(*) の状況は憂うべきことであるが、
「逆に、0^0=1に関する記述が多いこと利用して」、
「数学的に信頼できるサイトと信頼できないサイトの指標」
として使うということが考えられます。

 更には、「数学教員の信頼度の指標」ともなりえます。
先生に、「0^0 の値はなんですか?」と質問してみましょう。
その答で、数学教員の能力が解ります。

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